February 07, 2006
◆ 伝承
今の時代にどうでも良いことだと思うのですが、我が家の伝承レベルの話だと思って、いつぞやこのブログに島田家の祖が楠木正家と書いたら、コメントをいただき、
http://blog.yshimada.org/mt/archives/2004/11/post_194.html#c921
正家は瓜連城によって、南朝方として戦ったのだそうです。
これは初耳でした。
今度は、たまたま検索中に、
北奥羽中世史掲示板
http://sea.advenbbs.net/bbs/nanbu.htm
というのを見つけました。
これによると、
「正成の子孫に越前朝倉家に仕えた島田家があり、その子孫に栃木の島田家がある」という趣旨になります。楠木が栃木の島田家の祖になっているという話は、我が家の伝承(菩提寺含む)以外では初めて見ました。
ここでコメントされている「歴史の旅人 」さんは、当ブログにコメントくださった方と同じ方なんでしょうか。
以下、そちらへの私の投稿と、「続き」はその元記事の抜粋です。
それにしても、朝倉家ですかぁ・・・
No.338
栃木の島田雍士と申します。
偶然貴サイトを見つけまして、突然の書き込み失礼します。
> 島田家の家譜は、正氏ー正家ー正種(正胤)-正安とあり、この二つの系図は同一と考えられる、栃木の島田家は、おそらく、正安の子か孫ぐらいから分かれたものであろう。
我が家では、正成の甥が正家で、その子が正種(or正胤)であり下野に落ちて嶋田家を起こした、と伝承されています。現存する墓石のうち最も古いものが「嶋田勘解由左衛門正保」と読み取れ、当家の直接の祖とされています。寛永年間の建立と書かれていますが再建したとの話もあるようです。この写真の左外れにあるのが正保です。
http://yshimada.com/diary/img/20040418-2.jpg
場所は、栃木県鹿沼市寺町の雲龍寺です。
当家は、鹿沼三嶋田の中家を称していたようです。
(鹿沼島田家の墓守より)
category : わだい
Posted by yshimada at 2006.02.07 (Tuesday) 04:57 PM
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☆ コメント ☆
南朝・北朝の争いが続いていれば、我が家は島田家と戦ですね
正統ではないと言われつつ、現在まで続く北朝ですが、
我が家の実家は明治神宮の中にあり、北朝の守護の一部(おおげさ)を
しております
「戦じゃ、ものどもであえーー」(笑
*そーはいいつつDNA解析をしていくと、いまの全人類は17人の
小グループの子孫らしいので、祖先が誰いっても皆同じ祖先ですからね
突き詰めれば(笑
Posted by ヒロ : February 7, 2006 10:31 PM
こりゃ大変じゃ。
ヒロさんちとイクサでおじゃる。
南朝方だの言ってみたところで、北朝方に頼って下野に来たらしいですよ。
それはそれとして、言い出したらキリがないですね。
みんな何とか天皇の子孫です。フフフ。
Posted by yshimada : February 8, 2006 11:37 AM
自分の祖先とかって全然知らない。
何だか興味出てきたけど、
どうやって調べるんだか分からんの。。。
Posted by noina : February 8, 2006 02:05 PM
うちの先祖と関係あるかも知れません、
http://www.asahi-net.or.jp/~eh4h-krby/gikei01.htm
家では節分に豆まきをしたことがありません、昔、渡邊綱と言う人が鬼胎児をしたからだそうです、小学校の頃、友達にそのことを言うと馬鹿にさせました、ちょと渡邊綱のことを見ていたら楠正成と関係があるようです。
Posted by 渡辺 : February 8, 2006 02:54 PM
noinaさん、
ご先祖話に花を咲かせて良いもんかどうかとは思っているのですが、
調べる手段はお墓の場合が多いようです。
渡辺さん、
渡邊綱さんのこと、少し検索してみました。
源氏に仕えた剛の者だったようですね。
鬼退治のプロのようですから、豆よりも強力だったのでしょう。フフ。
Posted by yshimada : February 9, 2006 10:44 AM

